その15回目

「戀之風景」(邦題:恋の風景)
2003.10.16~香港公開
2005.3.26(土)~渋谷ユーロスペースにて公開中
【名古屋】シネマテーク 2005年5月4日~
【大阪】シネ・ヌーヴォ 2005年5月7日~

~HORA奥様劇場~  文芸作品編

○月○日
今日、タンスの中にキノコを発見した。
僕がそう言うと、彼女は小さく笑った。
僕はこんな何気ない事にたまらなく喜びを感じる。
何でもない、ただ靴下が丸く並べられているだけ。

○月○日
今日は朝から雨。薬の副作用だろうか、気分が悪い。
昨日まで幸せを感じていたキノコでさえ、今日は投げつけたくなる。
僕がいなくなった後、彼女は誰かの靴下をキノコに変身させるだろう。
彼女が作るキノコをそいつはどう思うのだろう。
大笑いするかも。そして彼女を傷付けるかも。そうなればいい。
これは嫉妬だ。まだ現実となっていない、彼女を幸福にするであろう誰かに
僕は嫉妬している。
彼女のキノコにしあわせを感じ、
彼女の微笑みを見つめる僕以外の誰かに。
僕は彼女を幸せにしてあげているのだろうか?
僕が感じているほどの幸せを彼女も感じてくれているだろうか。
雨の日が好きな僕も、今日はどうやらかなり参っているようだ。
たまにはこんな日があってもいい。これも僕なのだから。

○月○日
もう食べ物の味が分からなくなってきた。
痛み止めが効かなくて夜中に何度も吐いてしまう。
そんな日が続いたので病院でもっと強い痛み止めを貰ってきた。
それが効いてきたのはいいが、舌の感覚までもがなくなってしまった。
そうなってくると食べ物はただ腹を満たすものでしかなく、
これが土だろうが綿だろうが腹が膨れればなんでもいいとさえ思えてくる。
当然食欲などなく目に見えて頬がやつれてきた。
彼女に病気のことを黙っていられるのもあとわずかかもしれない。
彼女に話すのが先か。僕が死んでしまうほうが先か。

○月○日
今日は頭がスッキリとしている。絵を描き上げたから気分がいい。
今日は彼女の為にきちんと書いておかなければいけないと思う。
僕の死後、彼女はきっとこの日記を手にするだろう。
彼女がこれを読み、自分を追いつめないように僕は書いておかなければいけない。
病気の事、黙っていてごめん。これは避けられない僕の運命だったんだ。
幼い時から僕はその日の宣告を知っていたような気がする。
告知を受けた時、「ああ、今日この日だったんだ。」と思った。
なぞなぞが解けたかのようなスッキリした気持ちさえあった。
僕は小さい頃から美しいものが大好きだった。
朝露に濡れるくもの糸や、神様の芸術品のような花々に心を奪われた。
どうしてだったのか。その答えがこれだったんだ。
死ぬまでの間に出来るだけたくさんの物を見ておきなさいという、
神様の思し召しだったんだと思う。
そして神様は人生の最後に一番美しいものを僕に下さった。
人を愛するという事。君にめぐり合えて僕は本当の幸せを知ったんだ。
ありがとう。愛している。僕が描いたバラの花びら一枚一枚に愛していると綴りたいくらい、
愛してる。この日記を君が読む時、僕はもういないだろう。
最後に悲しい思いをさせてしまってごめん。
でも、君が悲しければ僕も悲しいんだ。僕は何一つ後悔していない。
去ってしまった僕に未練を残す必要はないんだ。僕の死を乗り越えてほしい。
僕を忘れて欲しい。その時こそ、君がまた幸せになる時なのだから。
数ヶ月後、
画家は絵を届けに行った先の画廊で倒れた。
取り落としてしまった風景画。赤く染まる床。人々の悲鳴、騒然とする画廊内。
倒れた画家は床に散らばる美しい風景画を見つめながらゆっくりと瞬きを繰り返した。
風景画に重なる恋人の優しい微笑。画家は彼女に微笑みを返すとまぶたを閉じた。
その瞳に優しい恋人の姿を写すことは二度となかった。~終~
パタンと本を閉じる訳ありげな女。
「なんて美しい物語なの。主人公の画家の素敵なことといったら・・・。
それに比べて・・・。」
女、ゲームに夢中になっているロン毛の男を見る。
口を半ば開けている男を見て大きなため息をつく女。
「ハッ!ごめんなさい!つい夢中になって。なに?どうしたの?お、怒ってる?」
慌てて女のそばに駆け寄る男。
「いいえ、怒ってないわ。」そういいながら男の頬を両側から引っ張る女。
「(画家もいいけど、この男もやめられない。)」
「お、おくひゃん。やっぱおろってらい(怒ってない)?」
キャー!!恥ずかしいわ~。「まさかこんなものを書くとは!」って自分でも驚き。(笑)
実はこれ、NHKフィルムフェスティバルでの上映後に書いたものなんです。いかに私がその世界にどっぷりとはまってしまったかがお分かりかと思います。でも、どっぷりとはまってしまったのは、映画の中で描かれなかったサムのストーリー。これにはまっちゃって、ついつい、こんな私風サムの日記を書いてしまったんです。つまりは「もっとイーを出してくれよ~~~~!!!」ってことですね。(笑)

お話は、病死した恋人サム(イーキン)を思い続けるマン(カリーナ)が、サムの残した最後の絵の風景を探しに青島に来て、そこで郵便配達のシャオリエ(劉燁)と出会い、新しい恋に目覚めていくというラブストーリーです。全編、丁寧に撮られているためか、とても1時間45分の作品とは思えないほど長く感じましたね。失礼な話し、こんなに長く感じる映画を香港人はちゃんと座って見れたのだろうか。たとえ車に跳ね飛ばされようが起き上がり、たとえ両足がなくなっても復讐に燃える主人公を好む香港人に耐えられたんでしょうかね?(笑)それは冗談としても、1時間45分しかないのに長く感じたのはひとえにこの映画全体を覆う暗い映像のせいでしょうね。NHKフェスタで来日した監督が上映前に「今日はいい天気ですよね。ここに来ないでどこかピクニックにでも行きたいでしょうけど、どうかこの映画を見てそんな気分になって下さい。」とってそんなような挨拶したんだけど、始まった映画の風景があ~ま~り~にも寒そうで「とてもピクニックに行った気分にはなれねぇ~」でしたね。(笑)もう、映像が全編寒くて寒くて。マンの寂しさを表現する現実の世界は暗く、鉛色を含んだかのような映像で撮られているからなんですが、あまりにも長くその色が続くので、見てて本当に寒くなってきます。外で寝ているじっちゃんを見ると、「凍えちゃうから早く家に入れてあげなよ~」とか、シャオリエが冬のアイスもなかなかいけると言って買いに行くところも、「いらね~よ、ホカロンくれよ~」と心で突っ込まずにはいられませんでしたね。でも、サムの親戚トンの元旦那が裸で出てきたところは、「慌ててた割にはちゃんとパンツはいてんじゃん」と団地妻、顔だけ熱かったりして。ほほほ。いかんいかん、これは文芸作品。そんな中、サムが登場するシーンはぼかしの入ったセピア色で表現されていてほんの少し暖かくなりホッとします。マンは日記を写す事によって悲しく寒い場所から、サムと過ごした暖かな思い出へと逃避してるんですね。少しでもその世界に浸っていたいと日記を書き写してるんですよね。まるで「マッチ売りの少女」のようだな~と思いました。マッチの火が燃えている間に見る夢は暖かく幸せ。もう少し、もう少しと思いながらマッチを全て擦ってしまった少女は、ついに天国のおばあちゃんのところに行ってしまったけれど、マンは優しい天使のシャオリエが待つ、天国のように花が咲き誇る場所にたどり着いたわけです。めでたしめでたし。(-_-)って、終わったらあかんて。\(◎o◎)/!

言うまでも無く、この作品、主演はカリーナと劉燁です。イーの役は必要だけど、作品を見れば分かるように、監督はサムを深く描く気がサラサラなかったんじゃないかな。ぶっちゃけ、イーは主演じゃないんですよ。それなのによくぞカンヌまで行ったよイー。(笑)質問されなくて当たり前だっちゅうの。もし劉燁のビザが間に合っていたらもっと悲しい目にあってたぞ。いかにサムの役が誰でもよかったんだと思わせたのは、来日時のライ監督の直球発言でしたね。キャスティングについて聞かれ、シャオリエの役は劉燁と即答。マンの役はオーディションさせたとは言ってましたけど、それはカリーナの力量を確かめたかっただけの事と思われます。それに引き換えイーをキャスティングした理由は、「映画会社からスターを使えと言われたから」ですよ。(-_-)イーファンを前に物凄い直球発言。まあ、笑っちゃいましたけどね。(笑)でも、ライ監督にとってみればイーを起用した事は思わぬ副産物があってラッキーだったんじゃないですかね。ある程度イメージ通りに演じてくれたし、出番の数に文句は言わない、宣伝活動も積極的にしてくれたわけですから。香港では勿論の事、大陸でも少しは名の知れているイーですから、行けば人がわんさと集まってきますしね。楽に宣伝が出来ただけでもありがたいと思ったのか、後半イーに対するコメントが「彼は清潔で透明感があってマンの美しい思い出の中にいるサムにピッタリだった」という風に変わってましたね。なーんて、意地悪な言い方してごめんなさい。多分、直球発言は監督のジョークだと思うんですよ。でも、マジ恋裏番長、ちょっと直球発言を根に持っているので(笑)ここで愚痴らせていただきました。監督、今度はちゃんとした理由で使ってね~。(^_-)-☆

さ~て、この映画の見所は何と言っても若死にしてしまう画家役のイーですよ。ここはイーキンサイトですからね、例え出番が全部合わせて15分あるかないかであっても、イーが最高!と言ってしまいます。「禁煙キャンペーン映画」の製作で知り合ったスタンリー・クワン監督のおかげで、イー初の文芸作品に出演。その頃すでに思い付き発言イーではなく有言実行イーとなっていたので、文芸作品出演と聞いても「おお、ついに来たか」といった感じ。ただし、画家役には大丈夫か?と一抹の不安が・・・。なにせ、若かりし頃に出演したドラマ「月兒彎彎照九州」での書生風画家役といい、「殺手風雷」(キラーズ・コード)の殺し屋の副業画家役といい、どう見てもお前が描いたんじゃねぇだろ?と突っ込まずにはいられなかったからな・・・。でも、カリーナがインタビューで「彼は一生懸命役作りに励んでいたわ。」と言っていたので今回は大丈夫かも・・・。なーんて、期待と不安が半々でしたね。んが、案ずるより何とか。作品中は絵を描くなんてシーン全く無し。安心したような悲しいような。なけりゃないで見たかったなーと思うものねよ。香港のネット新聞にも絵を描いているサムの後ろからマンが抱きついてる、熊抱の写真があったから撮ったんでしょうけどね。カットだったのね~。(~_~;)ソファに横になって本を読んでいるサムに寄り添うマンという写真もあったわ。カットされたのね~。(-_-;)ヘアースタイルも・・・、カットされたのね~。(T_T)いやいや、それはその前の「我老婆[ロ吾][多句]秤」の時のままですから。まあ、そんなこんなですからこの作品、数少ないイーの出番は全~部Eショット!!(^_^)v髪型が変でも気になりませ~ん。死に化粧のほどこされたサムはぼかし入り過ぎちゃう?と思っても、寝顔が絶品のイーですから美しい~。できたら司法解剖の後とかで、すっぽんぽんで寝てて欲しかったけど。したら、マンがサムの手を取る所でチラッと腰骨なんぞ見えちゃったりして、いや~~ん(#^.^#)おっと、文芸作品だったわ。ごめんなさい、お下劣で。(^_^;)寝顔とくればイーの十八番(おはこ)「女の子とのいちゃいちゃシーン」。この作品にもございますわよ。眠っているサムにチューをするマンに気づき、目を閉じたままチューを返すサム。まるで母犬の顔をクンクンしてる子犬ちゃんみたいじゃない?こんなのを演じさせたらピカイチよね。イーってばプライベートでもこんな事してるのかしら?キィー!!<(`^´)>いかんいかん、裏番長キレちゃったよ。もうひとつ、赤いドレスのマンとサムの踊るシーンもいいわよね~。クルクル回って見詰め合っちゃった後フレームアウト~~~。どこ行っちゃったの~~~?何してるの?あんなことやこんなこと?きゃー、そんな想像しちゃダメダメ、これは文芸作品よ~~~~。(#@.@#)ハッ!いけないわ、また興奮してしまった。イー初の文芸作品の感想だというのに、こんな事でいいのか?(笑)

ではここでひとつ、文芸作品にふさわしい感想を。私はこの作品で2箇所、涙したところがあります。ひとつはマンが携帯カメラでサムを写しているシーン。もう一つは出かけるマンを見送るサムのシーン。私事ですが、最近身近で「死」について考えさせられる出来事がありました。身近な人の死を想像した時、私はその人がまだ死んでもいないのに次から次へとその人との思い出が甦り、涙が止まりませんでした。二つのシーンはマンがサムを思い出す所です。「思い出すと泣けるんだよね~」と、共感したんだと思います。どんなに楽しかった日の事を思い出しても、その度にその人には二度と会えないという悲しみがついてきます。思い出に浸っている間は幸せと思えるけど、実はどんどん悲しくなっているんですよね。サムを回想するシーンは暖かいんだけど、どことなくはかなげでそのあたりをとてもよく表していると思います。ライ監督のきめ細やかさがうかがえますよね。またイーが本当にいい雰囲気を出してるんだよね。彼の演技でいつも思うのは空気作りのよさ。演じるだけでなく、BGMがなくてもその場の雰囲気が伝わってきそうな空気を作って相手役とかを包んでる感じがする。褒め過ぎか?(笑)さて、マンの場合、絵の風景を探す事でそれを乗り越えようとし、そしてその先に新しい恋が待っていたというハッピーエンドでした。私はどうだろう。もし身近な人が死んでしまったら私は乗り越えられるのだろうか。その時、私にもサムの残した絵のように、何か乗り越える為のキーワードが現れるのだろうか。現れて欲しいな。でないと辛過ぎてしまう。この映画を見終えて私はそう思いました。この映画はマンとシャオリエ以外にもトンの三角関係や老夫婦の営みとか、どの世代の人が見てもどこかに共感がもてるのではないかと思います。だから、見る人によって感動した場面もかなり違うだろうし、何年後かに見たらまた別の場所で感動するかもしれませんね。皆さんの心には何が残りましたか?(どっかで聞いたようなフレーズ)

Text by まさか